角川ビーンズ小説大賞 歴代新人賞受賞作品紹介

第18回角川ビーンズ小説大賞

『ミラージュ・タイム』 あさの ゆづき 12歳

消えてくれるな。
私はそう思った、いや祈ったと言った方が正しかった。
消えてくれるな、アイツに見せてあげたいんだ。
この海の向こうにあるのは確かにまぼろしだって、うその世界だってそう言ってあげたい。
私は携帯の画面に出ている名前を押した。
「……ミキ? 今、何してる?」


私とミキは幼稚園からの仲だった。
小学校の頃は毎年クラス替えがあるのに、必ずといっていいほど同じクラスになった。
クラス替え当日、互いの名前が書かれた紙を見て、手を取りあったこともある。
「まただよ、いいかげんあきたね」
「ホントだよ、早くはなれたいな」
お互い思ってもいないことを言い合う。私は、ミキとのこのやりとりが好きだった。
中学に上がると、運がつきたのか、ただ単に人数が増えたせいか違うクラスになってしまった。その頃には別に友だちもたくさんいたし、別れたのがさびしいとか悲しいとかは思わなかった。
「やっとはなれたか」
「そっちこそ、泣かないでよ」
クラス替えの紙の前で毎度おなじみの軽口を言い合って、私たちは別れた。


中学の一年目というのはこうも大変なのか、と思った。格別に難しくなる勉強、増える課題、部活に委員会、学校行事に休むひまなくイベントがやってくる。
下校時間には夕日がしずんでいくのが見れるようになった。秋になるのはあっというまだった。
ある日の帰り道の途中、ミキを見つけた。
あまり使われていない角の公衆電話の横にミキは立っていた。
私は自転車を押しながら横を通りすぎようと思った。
同じ学区内だし、いても別に不思議じゃなかったが、なんとなく声をこちらからはかけづらかった。
「おつかれ」
「ん」
ミキと目が合って、声をかけられた。
ミキはそのままいっしょに隣を歩きだした。

「誰か待ってたの?」
「どうして?」
「いつもはもう帰ってるころでしょう? 吹奏楽は」
ミキは吹奏楽部に所属していた。
一年生ながらトロンボーンのソロを任せられるくらいの腕前で、他の部の応援や集会でトロンボーンを颯爽と吹くミキを私はすごいな、と感心していた。身内でもないのに少しほこらしげな気持ちでその姿を見ていた。かっこよかった。
「よく知ってるね」
「音でわかるよ、うるさいもん」
うそだ。私は音楽室から流れてくる音を、耳をすまして聴いていた。私はとなりの第二体育館でバトミントンをしている。ミキとちがって補欠の弱小部員だが。
「最近トロンボーンの腕落ちたんじゃないの」
「ん……そう?」
いつもの掛け合いに元気がなかった。やばい、言っちゃいけないこと言ってしまっただろうか。ミキとは付き合いが長いせいかいつも余計なことまで言ってしまう。そんな時ミキはさらりと受け流してしまえる奴だ。いつもごめん。
もう余計なことは言うまいと口をしっかり閉ざす。
ミキもそれから何も言わず、お互いの足音しか聞こえなかった。

「蜃気楼みたことある?」
「……え、何?」
ミキが質問してきた。突然すぎて反応がおくれた。
あの角を曲がれば家に着く、この気まずい空気からさよならできると思ったのに。

「日本じゃさ、たしかこの街ともう一ヶ所しか見ることができないんだって。あとは外国の砂漠とかなんだって」

どうしてミキがこんな話をし出したのか疑問だったが、蜃気楼についてはさすがに少しは知っていた。この街の名所は少ない。小学校のころ理科の時間に観測しに行ったこともある。
気温と海面の温度差、光の屈折でおこる海の現象。
「んー、小さい頃もしかしたら見たことがあるかも。全然覚えてないけど」
蜃気楼は毎日見れるものじゃない。
いくつかの条件がそろってやっと見られるものだ。地元民だからといってかならずしも見たことがあるわけではない。
私の家から海まで遠くはなかった。自転車で十分くらいだ。
おばあちゃん家はもっと近くで、もしかしたら小さい頃に見に行ってたかもしれない。とりあえず、ミキの質問に答えたかったが、すこしあいまいな答えになってしまった気がする。
「そう」
「ミキはあるの?」
「うん、ある。はっきり覚えてる」
「どんなだった?」
海の向こうに見える現象。
私はミキがそれをどう感じたのか気になった。
「こわかった。海の向こうに見えてる街がゆっくり歪んでくんだ。黒くて、なんか、こわかった」
そう言ったミキの声が知らない人みたいで私は歩くのをやめてしまった。
ミキがふりむき私を見た。
「どうしたの?」
「なんでもない」
それ以上の会話が続かず、私たちは別れた。
いつもの私たちらしくなかった。

「ミキ、来週から外国に行って心臓の手術するらしいよ!」
お昼休みに友達としゃべりながら廊下を歩いていると、同じ小学校だった夏美にそう告げられた。
あまりの突然さに何の冗談? と返しそうになったが、となりにいた子達もそれやっぱりホントなの? と話に入ってきた。
「今、親と校長室に来てるんだって!」
「うそ!?」
「ミキと仲いいよね? 知ってた?」
知らない。そんなはずはない。
そう思ったけれど、私はミキの何を知っているというのか。
ミキは、近くに住んでいるただの同級生で、トロンボーンが上手な、私の友達だ。
けれど、この前話したミキが私は忘れられなかった。蜃気楼をこわかったと言ってたミキ。あの時のミキは私の知らないミキだった。
「私、ちょっと行ってくる!」
大きな声が出た。おどろく友達を横切り私は校長室に向かった。
きっとウワサ好きの夏美のうそ。きっとそう。私は、ミキの口から聞きたかった。
本当? ミキ。いつものように軽口をたたいてこう言うのだ、だまされた? って。
校長室は二階の角にある。校長室なんて入学して一度だって入ったことはない。そこにミキが今いるのか。何の話をしているのか。
気がつくと私は走っていた。
途中で先生に注意を受けたが、かまわなかった。
ミキ、外国行くの? 手術ってなに? 全部うそだよね?
あと数メートルで校長室に着く、その時、とびらが開いた。ミキと、多分ミキのお母さんと担任の先生が部屋から出てきた。
「ミキ」
思わず口に出していた。自分のこんなかすれた声は聞いたことがない。名前を呼ぶことしかできなかった。
ミキは私に気づいた。目が合った。
視線だけで会話ができたら、ミキ、いっぱい聞きたいことがあるよ。
もう一度ミキを呼ぼうとした時、始業のチャイムが鳴った。
担任の先生が私に気づき、うながされて自分のクラスに戻った。

もう一度だけ、ミキの顔を見る。不安だらけの子どもみたいな顔。
しらない。こんなミキはしらない。
あなたはだれ?



その日は気がついたら自分の部屋にいた。
あの後授業を受けた記憶もないし、家にたどり着いたのも覚えていなかった。
全部うそだ、夢だと思いたくて、布団に入った。
全然眠くなかった。ミキのことが頭からはなれなかった。


夢を見た。古い映画を観ているような、モノクロの映像が流れてきて、これは夢だと分かった。夢にはやっぱりミキがでてきた。
ミキは海辺にあるテトラポットに立っていた。
海に落ちてしまうギリギリのところまで。
ミキ、蜃気楼を待っているの?
声をかけたつもりだったのに、音にならない。
ミキに私の声は届かない。
ミキはずっと海を見ている。
まっすぐだったはずの海岸線が、海の向こうに見える街が、ゆらりと動いた。
向こうの街がどんどん歪んでいく。
黒く、歪んだ形になってゆく。

“こわかった”

ミキ怖いの?
今もそう思ってる?

手を伸ばしても、ミキには届かなかった。


この街の海岸沿いには蜃気楼を見るために作られた小さな岩場がある。
ミキが外国に行くと知って私は毎日ここへ来ていた。
あの日目が覚めて、ミキのためにやらなければいけないという決意が私のこころにあった。
私は待っているのだ、やつが出てくることを。
ミキの不安を、恐怖を、形となってあらわしているあいつを。

蜃気楼が現れる条件はいくつかある。
風がないこと、気温が高いこと、海面との温度差があること、本から学んだのはそれくらいだ。久しぶりに小学校の理科の教科書を開いて勉強をした。それに湿度が高いと出やすいこともおばあちゃんから教えてもらっていた。
今は秋、蜃気楼がでるには気温も低い、けれども雨は降るし、真夏日のように急に気温が上がる日もある。
天気予報をあんなに必死にみたのはいつぶりだろうか。雨が降ってほしい、そしてすぐ晴れてほしい、とわがままなお願いをした。
来週外国へ旅立ってしまうのなら今日明日を狙うしかない、
時間がなかった。
岩場には私と同じように蜃気楼を待っているひとたちや、釣りをしているひとたちがいる。
すぐそばに立っているこいのぼりのようなものが、なびくのをやめた。風が止まったのだ。

海を見た。まっすぐに伸びているはずの水平線が、ゆらりと動く。
きた!
私は、目を見開いた。たしかに動いた!
周りの人たちもざわざわし始めた。間違いない、蜃気楼が来たのだ。急がなければ消えてしまう。
私はあせりながら携帯をカバンから取り出す。
電話のページを開き、ミキの名前を押す。
きんちょうした。何度もよんだ名前。
「……ミキ? 今、何してる?」
電話から5分もしないうちに自転車に乗ったミキが岩場に現れた。
自転車を止めて、私のもとにやって来る。
ミキの顔を見たのは校長室ですれ違ったあの日以来だ。
「どうしたの?」
ミキの質問に、私は海を指差す。ミキが気づいていないはずがなかった。
「ミキ、見て。蜃気楼」
「……ん」
ミキはうつむいたままで答えた。
ちゃんと見て。大丈夫だから。
「ミキ、外国行くんでしょ、心臓の、しゅ、じゅ」
だめだ。
とまらなかった。言葉も涙も。
「こわくなんかない……!! きっと……海の向こうは大丈夫!! 私が保証する!」
もうむちゃくちゃだった。
外国になど行ったことのない私がどう保証するというのか。
身体もふるえている。もうどうにでもなれ。
「だから、がんばってよ!! そんなつらそうなミキの顔みたくないんだよ!」
ありったけの声でさけんだ。今まで生きてきて、きっと一番大きな声だ。
涙がぼたぼたと止まらなくて、顔をゆがめた。
けど、まっすぐミキを見ていたかった。今、顔を背けちゃダメだ。
ミキが、顔を上げた。ぐちゃぐちゃの私を見つめている。
「うん、……。がんばるよ。好きな奴にここまでされちゃね。泣くなよ。見てよコレ、笑えるだろ?」

ミキがポケットから何か手帳のようなものを見せた。ミキがそれをちらと裏返して、表紙をみせてもらうと、それがパスポートだと分かった。
初めて見るものだったから、最初は何なのかわからなかったのだ。
パスポートの一枚目には、ぶすっとした顔のミキの写真が印刷されていた。
なんでこの写真にしたんだ。まるで不満たらたらの子どものようだった。
私は思わず両手を顔に当てて笑い出してしまった。
その横に、MIKIMOTO SHOZABUROU。
三木元 翔三郎。
ミキは自分の名前が古臭いときらっていたので、子どもの頃から下の名前は呼ばせず、周りにミキと呼ばせていた。

「ねぇ、ミキ。私のこと好きだったの?」
「うん、だから次会うときには下の名前で呼んでよ、まりん」
「私はやだ。もろキラキラネームじゃん」
「可愛いよ」
「翔三郎ほどじゃないよ、ばーか」

蜃気楼はいつのまにか消えていった。
突然現れた時と同じように。

たとえまた現れたって、きっともう、こわいなんて思わない。