「ぶえっくしょん!」

 大きなくしゃみと同時に鼻水も垂れそうになり、無造作にティッシュをつかんでズズッとかんだ。頭は熱くてボーっとするのに、悪寒が止まらず、全身が重くて怠い。

 この日、九十九零はひどい風邪で寝込んでいた。

(あ~……聖サン、お見舞いに来てくれないかな……)

 ゼエゼエと荒い息を吐きながら、苦しさを妄想で紛らわす。

 手作りのおかゆをフーフーして「あーん」って食べさせてくれたり、着替えを手伝ってくれるんだけど、ちょっと恥ずかしがって赤くなっちゃったり……そんな瑞姫の様子に、零も思わず感情が溢れ出して告白。

『聖サンのことが、どうしようもなく好きだ……! 絶対大事にするから、オレと付き合ってください』

 驚いた様子だったけれど、やがて頬を染めて、コクリと頷く瑞姫。

ようやく交わる想いとともに、ゆっくりと重なる二つの唇――。

(めっちゃイイめっちゃイイめっちゃイイ……! 風邪をうつしちゃうかもしれないけど、その時はオレが看病しに行くから――って我ながらベタすぎる……そんな上手くいくはずないし。でも最高…………)

 

 熱に浮かされた頭で愚にもつかないことをふわふわと考えていたが、ふと時計に目をやってギョッとした。

(やば、もうこんな時間……!)

 今日は他の家族全員に用事が入っているため、零が幼稚園に弟妹を迎えに行くはずの曜日だった。

クソなんだってこんな日に、と心の中で呪いながらふらつく体を無理やり起こしたその時、ピンポーン、とインターホンが響く。

受話器をとると、聞きなれた不愛想な声が鼓膜を震わせた。

『雪姉から頼まれて、チビたちを連れてきたぜ』

 どうやら姉が従兄弟の二葉に代行を頼んでくれていたらしい。

「ありがと。マジ助かった……」

 虚勢を張る余裕もなく、いつになく殊勝な言葉とともに玄関を開けた零は、次の瞬間、マスクの下でポカンと口を開けた。

 

「体調はどう? いきなりみんなで押しかけるのもどうかと思ったんだけど……」

 

 すぐそこに立っていたのは、心配そうな表情でこちらを見上げる、零が絶賛片想い中の彼女――と、お邪魔虫たちだった。

「ジャーン! ヒーロー部参上!」

「見舞いに来てやったぜ、九十九」

「道中の空き地で自生していたのを偶然発見したのだが、これは森羅万象におけるあらゆる病を治す魔界の茸『レイジュダケ』だ……受け取るがいい」

「!? 俺のキノコを食べろ、じゃと……っ」

「木下、それはアウトだ。――チビたちの世話係として、こいつらにも声かけたんだ。グッドアイディアだろ?」

「「ただいま~」」

 

 

 とりあえずおまえは寝てろとみんなから追い立てられ、戻った自室で一人あたふたと最低限の片づけを終えたところで、零は熱に負けて布団に倒れ込んだ。

 体はしんどいけれど、同時にそわそわして、むず痒い。

(オレの家に、聖サンが来てる……!)

 病気のせいだけでなく心拍数が速くなっているのを感じていたら、少ししてトントン、とノックの音。

「どうぞ」と答えたら、ドアの隙間から少しふんわりした黒髪がサラリと揺れ、聡明そうな瞳がまっすぐにこちらをのぞいた。

「おかゆ食べられる? 厨君が作ってくれたんだけど……」

「た、食べる!」

 ピロリン、と着信音がして、スマホをみると二葉からメールがきていた。

『後でおごれよ』

(あいつ、金持ちのくせに……でもおごる! なんでもおごる!)

 おかゆと薬と水の載ったお盆を持って、瑞姫が部屋に入ってくると、ドキドキはますます高まった。

「顔、すごく赤いね……熱高そう。大丈夫? 体、起こせる?」

「うん……」

「じゃあ、はい」

 なんでもないようにお椀を手渡されて、「……ありがとう」と返事が一拍遅れた。

(そりゃそうか。食べさせてくれるわけないし……頼めるわけもないし)

 

 思いっきり肩透かしを食らいながらマスクを外し、自分でスプーンを動かして自分でフーフーして、一口、食べる。お米の優しい旨味と半熟の卵が舌の上にとろけて、美味い。

 もう一口、とすくいかけたところで……こちらをじいっと見つめる瑞姫の視線に気づいて、固まった。

「……えーと……何?」

「あ、ごめん。なんとなく見ちゃってた」

 なんとなくかい! と無駄に緊張した体が脱力する。しかし。

「見られると食べにくいよね。また後でお皿をとりに来るから……」

 瑞姫がそんな言葉とともに部屋を出て行くそぶりを見せたので、「待っ……!」と咄嗟に手が伸びて、彼女の服の裾をつかんでいた。

 

「…………え?」

 パチパチと瞬きをする瑞姫を前に、(しまった~~~~)と内心絶叫しながら、慌てて手を離す。どうも風邪のせいで理性がきかなくなっているらしい。

「九十九君……?」と不思議そうに小首を傾げる彼女の顔がもうまともに見られなくて、羞恥心に悶絶しながら、朦朧とする頭ではうまい言い訳もまとまらない。

気付けば、ぽろりと本音が零れていた。

 

「できれば……そばにいて欲しいんだけど……」

 

(あああああ何言ってんだオレ! これじゃ告白してるみたいなもんじゃないか……でもこんな時じゃないと言えないしむしろ妄想通り!?)

瑞姫の沈黙がこわい。

こわいけど……勇気を振り絞ってチラリと視線を向けると、瑞姫がふわっと微笑んだ。

「……うん、わかった」

 控えめなのに眩しい笑顔と、その言葉に、鼓動がドクンッとひときわ大きく飛び跳ねる。

 

「体が弱ってる時って、心細くなるもんね」

「………………」

 

 瑞姫は納得したように頷きながらも、結局全然わかっていないようで、本当にオレって男として意識されてないんだなあと凹んだのだけれど……。

「おかゆの味はどう?」

「……二葉が作ったわりには悪くないんじゃない?」

「厨君、料理上手なのに」

「あいつが作ったと思うと美味さ半減なんだよね」

「またそんなひねくれたこと言って……」

 彼女ととりとめのない会話をしながら過ごす時間はとても幸せだったので、まだしばらくこのままでもいいか、と思う零だった。

 

 

「――じゃあ、あとはゆっくり寝て、早く元気になってね」

 ひんやりとした冷却シートをおでこに貼ってもらいながら、澄んだ声と優しい眼差しでそんな風に諭されて、口元がゆるみそうになるのを必死で抑える。

(やばい……なんかもう、ちょっと、死にそう……)

 布団に横になりながら両手の拳を握ってじーんと幸福を噛みしめていたら、バタバタと足音が近づいてきて、賑やかなはしゃぎ声と共に幼い弟妹たちが部屋に飛び込んできた。

「あっ、こら、そこは駄目だって……」

「悪い、パープル。――調子はどうだ?」

 追いかけっこをしていたようで、後からヒーロー部のメンバーたちが続々と入ってくる。

「かなり回復してきた気がするよ。おまえたち、今回はなかなかいい働きをしてくれたじゃないか」

「ふむ、確かに平素の傲岸不遜な態度が復活しているようだな」

「おまえはずっと風邪ひいてた方がいいんじゃねーか?」

 呆れたように高嶋がそうコメントした直後、とんでもない事故が起こった。

奏汰が脈絡なく「キャー」とハイテンションで彼に体当たりをしたのだ。

 おそらくずっとそんな戦いごっこ的なことをしていたからだろうが、不意を突かれた高嶋は膝カックンされる状態になり「うわぁっ!?」とバランスを崩す。

 は!? と思う間もなく、零が寝ている上に腹ばいで倒れこんできて――

 

「「ギャーーーー!!!」」

 

 

「今……キスした?」

「したよな?」

「う、うむ、そのように見えたが……」

「ジーザス……」

「なんということじゃ、なんという……あ‶あ‶あ‶あ‶あ‶あ‶あ‶あ‶あ‶あ‶!」

「してないから! しそうになったけどギリ寸止めだったから! 冤罪だから!」

「ああ、一瞬したかと思って叫んだけど、セーフだから! 勘違いするなよおぞましい!」

 こそこそと青ざめて囁き合う(あるいは驚喜に震えながら絶叫する)他のメンバーたちに零と高嶋は必死で潔白を主張したが、「……そういうことにしたいよな」「不幸な事故だったね……」と周囲は全く信じた様子はなく、すっかり同情モードであった。

 

更に翌日、零は学校に復帰したが、よりによって今度は高嶋が風邪で欠席したので、「「「「「……やっぱり」」」」」と疑惑はより深まったのだった。

 

「本当に本当にしてないんだよ! オレは無実だ~~~~!」

 

 

――なお、腐女子である木下莉夢はその晩、ほとばしるパトスに身を委ねて長編BL小説(高嶋×九十九)を徹夜で一作書き上げたのだが、それは零たちにとって知らぬが仏の裏話である。